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第5回 府中の古墳時代

印刷用ページを表示する 記事ID:0004982 更新日:2021年1月29日更新
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遺構

府中の古墳時代

 第4回紹介した難波野遺跡では、古墳・奈良・平安・鎌倉時代にも遺跡が形成されており、長期間にわたって人々の生活が認められます。

 

 このうち古墳時代中期(約1500年前)には、300個以上の土器が「コ」字状に置かれた遺構がみつかりました(写真)。周囲からは、祭祀用の滑石を加工した石製品や土製勾玉が出土し、祭祀場と考えられています。

 

 ところで丹後には、網野銚子山古墳・神明山古墳(いずれも京丹後市)・蛭子山古墳(与謝野町)といった京都府最大級の前方後円墳が集中します。これらは「日本海三大古墳」と称され、強大な勢力の存在を思わせることから、「丹後王国論」が提起されてきました。

 

阿蘇海沿岸部にも、最古級の「丹後型円筒埴輪」が出土した法王寺古墳や、神人車馬画像鏡が出土した岩滝丸山古墳(いずれも与謝野町)が点在しますが、これまで「三大古墳」の影に隠れ、十分な評価はなされてきませんでした。

 

 こうした中、難波野遺跡で発掘された祭祀場は、丹後国一宮である籠神社や、元伊勢信仰で知られる真名井神社に近接することから、神社祭祀との関連が注目を集め、阿蘇海沿岸部の古墳時代を見直す契機となりました。ただし、その評価には、祭祀の具体的な内容や、集落との関係など多くの課題が残り、継続的な調査が必要です。

 

 

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