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第3回 府中のあけぼの

印刷用ページを表示する 記事ID:0004761 更新日:2021年1月29日更新
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土器

府中のあけぼの

 府中に所在する中野遺跡や国分遺跡では、縄文時代早期の縄文土器が出土し、少なくとも今から約一万年前には、人々がこの地に住み始めていたことがわかります。

 

 当時は、氷河時代から徐々に気温が上昇する時代に当たり、最も温暖化した縄文時代前期(約六千五百年前)には、現在より平均気温が2度から3度も高かったと推定されます。また、海水面も現在より2メートルから3メートル高く、内陸部まで海が広がったことから、現在のような天橋立の砂州(砂嘴【さし】)は、まだ存在しませんでした。

 

 縄文時代には、コメ作りは行われておらず、木の実の採集や、イノシシ・シカの狩猟により食糧を手にいれました。特に、縄文時代早期には漁撈【ぎょろう】が本格的に始まり、海洋資源に恵まれた日本文化の原型が形成された時代といえます。

 

 その生活は、自然のサイクルを熟知するだけでなく、乱獲による動物・植物の絶滅を防ぐ智恵にもあふれ、まさに自然環境と調和したものでした。さらに、近年、地球温暖化が大きな問題となっていますが、縄文人は激変する気候や環境にも柔軟に対応しており、私たちが直面する環境問題を考えるヒントを与えてくれます。

 

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