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“鬼はうち、福もうち”!? 国分寺に残る鬼伝説

印刷用ページを表示する 記事ID:0004534 更新日:2021年1月29日更新
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鬼のお面

 

かつて、丹後で有数の寺域と規模を誇った丹後国分寺。ここには、今なお語り継がれる鬼にまつわる伝説があります。人に化けていた鬼の夫婦が登場する、古刹に伝わる物語を覗いてみましょう。

 

 

国分寺の復興を助けた? 鬼の伝説​​​​​

国分寺

国分寺境内

 

奈良時代の天平年間、聖武天皇の詔により、阿蘇海越しに天橋立を望む地に建立されたとされる丹後国分寺。いくつもの時代を経る過程で、荒廃と再興を繰り返しながら今日まで脈々と受け継がれてきた歴史を持つ寺院です。

 

この国分寺には、とある鬼伝説が語り継がれています。鬼というと荒々しいイメージを持ってしまいがちですが、この伝説に登場するのは人を傷つけることのなかった大人しい鬼。そのため、国分寺では今でも毎年節分の日に、伝説に登場する鬼を供養する意味も込めて護摩焚きが行われているといいます。

 

 

正体を隠して人に化けた、大人しい鬼だった​

国分寺跡

丹後国分寺跡

 

国分寺付近の地域では語り継がれている鬼の伝説には諸説があり、少しずつ異なる物語があちこちで伝えられているようです。国分寺に残されていた文献にある「當寺の霊寳鬼面の事」には、善良な鬼の姿が記されていました。

 

 

――鎌倉時代、国分寺に老夫婦がやって来て、宣基(せんき)上人の前で涙を流しながら「私たちは仏道を修めるために来ました。どうかここで働かせてください」と言いました。上人は喜んで迎え入れ、二人は大変よく働きました。

ある日、夫婦はこっそりと上人に話します。「実は私たちは人間ではありません。しかし仏の道を修めたくて人間の世界にやってきました。そして叶うなら、この先も化け物に戻りたくはありません」。上人が「良い志です。ならば願いを叶えましょう」とお経を唱えたところ、二人は大喜びしました。

上人が二人に「本当の姿を見せてみてほしい」と言ったところ、「私たちの姿は大変醜いので、お見せするのは恥ずかしいのですが……お待ちくださいね」と奥の部屋に入っていきました。待っていると大きな叫び声がしたので、上人がこっそり覗くと、すでに夫婦の姿はなく、そこには頭の上に角を1本生やした鬼の面が2つ残っていました。夫婦は互いの姿の面を刻んで、形見として上人に残したのだと伝わっています。鬼の夫婦が去る際には大きな石を掴んで放り投げたとも伝わり、その石は「鬼石」と呼ばれ、今も近くに残されています。

 

宣基上人は国分寺の中興の祖。鬼夫婦は寺の復興に力を尽くして上人を助けた鬼だったというわけですね。

 

 

お面や地名……今に伝わる鬼の痕跡

鬼のお面

提供:京都府立丹後郷土資料館

 

この、国分寺に伝わる鬼伝説。実は物語が語り継がれているだけではなく、その痕跡だと伝わるものが残っています。なんと国分寺には物語に登場すると伝わる鬼の面が残っており、寺からほど近い京都府立丹後郷土資料館に寄託されているのです。実際のところ、これは疫病を追い払う追儺(ついな)の行事に使われていたのではないかと推測されています。

 

鬼の爪痕が残る岩

 

また、鬼夫婦が逃げた際に爪痕を付けたとされる石も、付近に残っています。鬼石や鬼池、鬼屋敷といった地名も残っており、古くからこの地で鬼伝説が語り継がれてきたことを物語っていますね。地域にとって、鬼は助けてくれたものという感謝の気持ちが時代時代で形を変えて語り継がれているようです。

 

さらに、この地域には節分の豆まきの際に「鬼はうち、福もうち」と掛け声を掛ける家や、豆まきをしない家があるのだとか。つまり国分寺付近で鬼は、追い払う対象ではなく、供養したり招き入れたりする対象として好意的に捉えられているようです。

働き者の鬼夫婦の尽力の甲斐もあってか国分寺は復興し、今でも宮津の海を望む高台に鎮座しています。

 

鬼石 アップ

 

 

〈データ〉

国分寺

所在地:京都府宮津市国分793
電話:0772-27-0351
参拝時間:9:00〜17:00

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