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みやづ歴史紀行(168回) 

印刷用ページを表示する 記事ID:0029818 更新日:2026年5月20日更新
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江西寺(こうせいじ)と庭園

江西寺本堂の画像江西寺本堂

  江西寺は須津集落にある臨済宗妙心寺派の寺院です。元は江栖庵(こうせいあん)という名の天台宗寺院であり、阿蘇海に面した枯木浦にありましたが、慶安三年(一六五〇)に鎮守(ちんじゅ)の愛宕堂(あたごどう)(愛宕神社)とともに大西山(現在の大師山)の山腹へ移転しました。この時、中国の江西のように風光の優れた地に寺院を建立したことから、江西寺の名に改められたと伝えられています。また、延宝年間(一六七三から八一)に祖伝(そでん)和尚を住持として招き、智恩寺の末寺として臨済宗妙心寺派の寺院となり、山号も現在の「大寂山(だいじゃくさん)」に改められたと伝えられています。
 江戸時代には度々火災に見舞われ、宝永二年(一七〇五)の火災では諸堂のほか、過去帳や古記録の多くが失われたと伝えられています。現在の山門は火災後に再建されたものであり、本堂は寛政元年(一七八九)の火災の後、寛政七年に再建されたものです。再建時には、茅葺(かやぶき)であった屋根を桟瓦葺(さんがわらぶき)に改めたと伝えられています。
 また、寺院には江戸時代中期の作庭と伝えられる枯山水の庭園があります。『京都府の文化財』(京都府教育委員会、一九八三年)には、「山畔部には多数の石組みがほどこされ、枯滝を構成する。特に目立つのは東側の数個の巨石で、屹立(きつりつ)する岩盤を表現しているようで迫力があり、本庭の要となっている。滝石組等には後世の改修が認められるが、全体として古庭の風格を伝えている。」と記されています。現在も作庭当時の面影を強く残している点などが評価され、昭和五十八年(一九八三)に京都府の名勝に指定されました。
 度重なる火災や、昭和二年の丹後震災による本堂や庫裏の被災を経ながらも、江西寺は建物や寺院庭園ともに、江戸時代の寺院景観をよく残しています。

(宮津市教育委員会)

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