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みやづ歴史紀行(166回)
須津彦神社とその伝承
須津彦神社
須津彦神社は、須津集落に鎮座する同集落の総社です。一つの社殿に、須津彦大明神(すづひこだいみょうじん)と須津姫大明神(すづひめだいみょうじん)という男女二柱の神が祀られており、拝殿には、「須津彦神社」「須津姫神社」の文字が並んだ扁額(へんがく)が掲げられています。現在の社殿は、拝殿を備えた三間社神明造の建物で、明治二十四年(一八九一)に建立されました。毎年四月に行われる例祭では、神楽や太刀振りが奉納され、地域の伝統行事として受け継がれています。
江戸時代に編纂(へんさん)された『丹哥府志(たんかふし)』には、須津彦大明神と須津姫大明神を、もとは倉梯山(くらはしやま)に祀られていた隼総別命(はやぶさわけのみこ)と鳥王(めとりのおう)であったとしています。
『古事記』などによると、二人は仁徳天皇の異母兄妹であり、女鳥王は仁徳天皇の求婚を拒んで隼総別命と恋仲となりました。やがて二人は天皇への謀反を企てて追われる身となり、倉梯山を通って伊勢へ逃れる途中で殺されたと伝えられています。
『古事記』に見える倉梯山は奈良県桜井市の音羽山に比定されていますが、須津彦神社の縁起が形成される中で、古代の伝承と須津の倉梯山が結び付けられたと考えられます。須津彦神社の境内にある摂社・唄和津(うたわづ)神社は、明治七年に倉梯山から移されました。その名は、隼総別命の辞世の和歌に由来するとされています。
また、須津彦神社は、江戸時代の『丹哥府志』や『丹後旧事記』などでは阿知江磯部神社(あちえいそべじんじゃ)※に、明治時代の『日本地理志料』などでは吾野神社(あがのじんじゃ)に比定されています。これら二社はいずれも、平安時代の『延喜式』神名帳に記載される式内社であり、少なくとも江戸時代には、須津彦神社が古代に遡る由緒をもつ古社として認識されていたことがうかがえます。
式内社との関連について明確な史料は残されていませんが、古代の伝承と結び付けて、古くから崇敬を集めてきた神社であると考えられます。
※ 「磯」の字は「山(やまへん)」に「石」と書き、「イソ」と読みます。
(宮津市教育委員会)







