本文
みやづ歴史紀行(157回)
金剛心院の み仏たち
金剛心院は、日置上集落に所在する真言宗の寺院です。平安時代に創建され、もとは宝光寿院(ほうこうじゅいん)という名前でした。永仁二年(一二九四)に西大寺派の忍性により中興され、金剛心院の名に改めたと伝わります。
寺院には、中世の仏教美術や地域の歴史を伝える歴史資料が伝来します。特に仏像彫刻のうち平安時代初期の制作である如来形立像(にょらいぎょうりゅうぞう)、鎌倉時代の制作である本尊・愛染明王坐像の二躯は、丹後を代表する優品として国の重要文化財に指定されています。
如来形立像は、カヤと見られる針葉樹の一材から制作された一木造の像です。肩幅を広くとった重厚な体躯や、下半身に刻まれたY字型の衣文など平安時代前期の一木造の仏像彫刻の特徴を色濃く残します。また、正面から風を受けたように、袖が後方にたなびく様を表した風動表現も特徴的です。寺院には、宝を生み出して福徳を与える宝生如来として伝わりますが、両手先が後補で補われており造像当初の尊名は明らかではありません。様式上の特色が特に元興寺(奈良県)の薬師如来立像(国宝)と共通することから、当初は国分寺を中心とした薬師信仰の中で薬師如来像として造像された可能性も指摘されています。
また、本尊である秘仏の愛染明王坐像は、ヒノキ材の寄木造の像であり、本躯のみならず光背、台座、さらに厨子まで造像当初のものを残します。また、これらに施された華麗な彩色文様も大部分は当初のものと見られます。本像は、中興間もない応長元年(一三一一)に金剛心院に安置されたと伝わります。忍性の属した真言律宗・西大寺派では、愛染明王が厚く信仰されており、忍性の師・叡尊も仏法興隆を祈願し、西大寺愛染堂の秘仏である愛染明王坐像(国重要文化財)の造像を発願したことが納入願文から知られています。本像も西大寺派との関係を伝えるものとして注目されます。
金剛心院の二躯の像は、長い歴史の中で戦火や災害を乗り越えて、当初の姿をよく留めたまま今に伝えられています。像の姿からは、寺院や地元の信仰が伺い知れます。
(宮津市教育委員会)
(金剛心院本堂)