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My Place マイプレイス 「本気の道で踊り続ける」
宮津で「輝く人」を紹介する「My-Place」
「丹後の宮津でピンと出した」三味線や太鼓の音色とともに宮津の夏の情景が押し寄せてくる宮津のソウルミュージック。今回は、宮津おどりの保存継承、普及発展などを担ってきた「宮津おどり振興会」の2代目副会長 神田由里子(かんだゆりこ)さんにお話を伺いました。
取材に伺ったのは地方(じかた)(=太鼓や三味線などの伴奏演奏)の稽古日。一音一音にこだわった、神田師匠の「本気の指導」が響き渡ります。
栗田で生まれ育った神田さんが踊りの道に入ったのは24歳の時。仲の良かった従妹の結婚式で踊ったことがきっかけでした。「この道だ!」と運命を感じたそうです。「家の箪笥(たんす)から引っ張り出してきた着物を着て、人前で歌と踊りを披するような子どもだったので、その素養はあったのかな」と振り返ります。当時の宮津は、芸事が盛んに行われた華やかな時代で、踊りの世界に強いあこがれを抱いたといいます。宮津おどり振興会の一員となり、花柳(はなやぎ)流の師匠のもと踊りの道を突き進みました。仕事のお昼休憩にも稽古に励む熱心さだったそうです。
平成6年には、敬愛する師匠の後を継ぎ、振興会を導く立場に。自らの進む方向が定まった神田さんは、三味線や踊りの稽古にも励み芸を磨き続けました。師匠として自己研鑽(けんさん)を続ける心には、「ここまでこられたのは会員の皆さんや後援会の皆さんのおかげです。先代が命を懸けてつないできてくださったこの会を終わらせるわけにはいきません」とまっすぐで力強い想いがあります。
「これからも楽しいことがあればどんどん挑戦したいですね」と声を明るくする神田さん。旅行者に向けた踊りの披露や、都市部から訪れた大学生のフィールドワークにも協力し、文化の普及にも力を入れています。
“土地の踊り”があることは決して当たり前ではなく、価値を見出し、守ろうとする想いによってつながれてきたことを、神田さんの半生が物語っていました。
宮津が誇る「宮津おどり」を、未来につないでいきませんか。さぁ、ご一緒に! 「丹後の宮津でピンと出した!」