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みやづ歴史紀行(144回) 

印刷用ページを表示する 記事ID:0022180 更新日:2024年5月20日更新
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大島集落のサナブリ​​

大島集落のサナブリ 

 日本各地の集落では、古くから生活に関わる数多くの年中行事がありました。田植え終わりの「サナブリ」(「サナボリ」)もこうした行事のひとつであり、村や家の休息日として定められ、 地域によっては祝宴が催されました。 丹後地域でも田植え前に神を迎える「サオリ」、「サビラキ」と共に多くの村々で行われており、それぞれの村や家で田の神様を祀りました。大島集落では、豊漁を祈願する海の行事と結びついた極めて珍しい形で伝わります。 
 大島集落のサナブリは、漁師が若狭湾に浮かぶ冠島(かんむりじま)(舞鶴市)に豊漁を祈願するオシマ参りの前夜祭(宵宮 (よいみや))として行われ、提灯で飾り付けた船が笛や太鼓を鳴らしながら沖合を回ります。船は、トモブト船四隻を横に連結したものであり、小竹を組み上げた帆柱に無数の提灯を山形に飾り付けます。夜の海に提灯の灯りが輝く姿は、 大変幻想的です。沖合を回った後、船は犀川の河口へ向かい石を拾い、翌日にその石を持ってオシマ参りへ向かい、豊漁を祈願します。
 大島集落は、漁業の先進地であった伊根浦の影響を受け、古くから網漁が盛んであったことは以前に紹介しましたが(※)、内陸部では農業も盛んであり、昭和元(一九二六)年には、養老村の八集落の中で、一戸あたり十九段(約18843平方メートル)と最大の耕地面積を誇るなど半漁半農の集落でした。 毎年決まった日にオシマ参りを行う集落が多い中で、大島集落では田植えや養蚕といった農村仕事の終わりの行事と位置づけており、地区に伝わる文書からも五月末から六月末とその実施日も毎年異なる様子が窺(うかが)い知れます。
 大島集落のサナブリは、昭和四十年代から青年会の衰退や地域の少子高齢化に伴い中断を挟みながらも続けられていました。現在は、平成二十二(二〇一〇)年を最後に休止状態にありますが、海と陸の二つの生業が結びつく大島集落の暮らしを象徴する大切な行事です。

(宮津市教育委員会)

​※みやづ歴史紀行第一三八回「大島の網漁」で紹介

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