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みやづ歴史紀行(139回) 

印刷用ページを表示する 記事ID:0020555 更新日:2023年11月20日更新
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龍燈寺と薬師如来像

龍燈寺の木造薬師如来坐像

 田原集落は、養老地区北西部の山間に位置し、北は筒川(伊根町)、南は日ケ谷に面しています。江戸時代に成立した地誌『丹哥府誌』には、平安時代に在原業平(ありはらのなりひら)の息子である在原棟梁(ありはらのむねはり)が丹後国に滞在した際、田原に館を構えたと伝えらえており、歴史の古さを感じさせます。
 前田山龍燈寺は、集落東北部の高台に位置する曹洞宗寺院であり、天正年中(一五七三~九二)に田原城主の小出左京進(こいでさきょうのじょう)が両親の菩提を弔うため、振宗寺(伊根町井室)の六世文玉和尚を開基として創建したことが始まりと伝えられています(『養老村誌』)。小出左京進の没後は、長らく荒廃状態となっていましたが、享和九(一八〇一)
年に代菴(だいあん)和尚により中興されました。現在の本堂は、文化八(一八一一)年に寿山(じゅざん)和尚の代に再建されたものであり、再建時の棟札が現在も伝わっています。
 また、龍燈寺は、聖観音像(しょうかんのんぞう)を本尊としていますが、客佛として鎌倉時代の制作とされる木造薬師如来坐像(宮津市指定文化財)が安置されています。 この薬師如来像が田原集落で守り伝えられるようになった時期は、詳(つまび)らかではありません。しかし、『養老村誌』 では、薬師如来が姿を変えた神として信仰されていた牛頭天王(ごずてんのう)に由来すると推察される奥田原の小字「天王」とあわせて、地域における薬師信仰の広がりを示す像として価値が評価されています。
 薬師如来は、麻呂子親王の七仏薬師伝承に知られるように、中世の丹後において厚く信仰されていました。しかし、時代と共に信仰の広まりを伝える尊像や資料が失われていく中で、龍燈寺の薬師如来像は、寺院とともに田原の人々により今日に至るまで守り伝えられてきました。本像は橋北(きょうほく)地域における薬師信仰の広まりを知る上で貴重な存在であり、今後の研究の進展が期待されます。

 

(宮津市教育委員会)

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