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みやづ歴史紀行(第135回)

印刷用ページを表示する 記事ID:0018751 更新日:2023年7月20日更新
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落山(おちやま)の神楽

神楽 

           落山の神楽

 日ケ谷地区を代表する祭礼芸能に落山集落に伝わる神楽があります。 この神楽は獅子面を被った演者が剣や鈴で私が輝ける場所 天地四方 (てんちしほう)  を 祓 はら う祈祷としての舞に加えて、獅子が紙吹雪と共に舞う「花の舞」など、様々な獅子舞が演じられるのが特徴です。
 神楽は、文化十五(一八一八)年に伊勢桑名(くわな)(三重県桑名市) から師匠を招き、地域へ伝えられました。落山集落に伝わる古文書には、 師匠とみられる 廣 瀬(ひろせ)氏 から集落の世話人らに対して神楽の由緒や心構えを記した「神楽由来書」や、神楽道具の購入のための金集めの記録などが残されており、村の祭礼芸能として神楽を取り入れようとする姿が窺(うかがい)い知れます。
 江戸時代の後期には、大西集落と立集落による太刀振りなどと共に、岩ケ鼻の日吉神社へ奉納されました。明治時代以降は、毎年十月に行われる村の祭りで奉納され、当日には落山集落の氏神である 下 垣(したがき)神社や他の集落の氏神、 寺院など日ケ谷の村中をまわりました。神楽は、集落の青年組織に所属する十五歳から二十五歳の若者が代々担い手となり、笛、太鼓、芸のいずれかを選んで習得する必要がありましたが、 多くは親の芸を代々受け継いでいました。毎年四月になると神楽の練習場であるカグラヤドの当番宅で稽古が始められました。
 青年組織の人数の減少に伴い、三十七(一九六二)年に一度中止となりましたが、 昭和四十九年には有志による落山神楽保存会が結成され、地域の祭礼で再び神楽が演じられ、記録映 像の撮影など後世の継承に向けた取り組みも実施されました。そして、 昭和六十年には、市内初の宮津市指定無形民俗文化財に指定されました。
 現在では、人数の減少に伴い再び休止となっていますが、昭和六十二年に宮本町が神楽を始めるにあたり、落山から教えを受けるなど落山集落の神楽の系譜は今も受け継がれています。また、市外でも伊根町井 室(いむろ) や与謝野町 加悦奥(かやおく)の神楽も落山から伝承したことが伝わっており、丹後地域における神楽の伝播過程を考えていくうえで重要な祭​礼芸能といえます。

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