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みやづ歴史紀行(第131回)

印刷用ページを表示する 記事ID:0017441 更新日:2023年3月20日更新
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日ヶ谷牛蒡(ごぼう)の栽培

歴史紀行 

 ⼤正天皇・皇后へ献上されたことを記す書状(⽇ヶ⾕地区公⺠館 蔵)

 ⽇ヶ⾕では、様々な農産物が作られていますが、代表的なものとして「⽇ヶ⾕⽜蒡」が知られています。⼤正時代より京都府農業試験場の協⼒を得て、栽培が開始され、⼤正⼗(⼀九⼆⼀)年頃より⽇ヶ⾕⽜蒡の名前で出荷販売されるようになりました。⽇ヶ⾕⽜蒡は、⾁質が柔らかく、⾹りが良いのが特徴であり、⼤正⼗四年に⼤正天皇と皇后に、翌年に皇太⼦(昭和天皇)と皇太⼦妃に献上されました。また、昭和三(⼀九⼆⼋)年に挙⾏された昭和天皇の即位御⼤礼(ごたいれい)に際しても献上品として選ばれました。
 昭和初期から昭和⼗⼋年頃にかけては、京都の⻘果会社へと出荷されました。毎年⼗⼀⽉以降になると収穫された⽜蒡が⼗⼆段階に選別され、⼟付きのまま薦(こも)に包まれた後、⼀〇〇トン前後が京都へ運ばれました。
 ⽇ヶ⾕を代表する特産物として広く⾏われていた⽜蒡栽培ですが、太平洋戦争での⾷糧増産の必要に迫られるなか、⽜蒡畑はサツマイモやジャガイモの畑へと姿を変え、⽣産数を⼤きく減らすこととなります。しかし、そのような状況でも⽇ヶ⾕での⽜蒡栽培は続けられ、与謝郡の各町村の概要を記した『与謝年鑑』の昭和⼆⼗⼋年版には、⽇ヶ⾕村で年間五〇〇〇貫⽬(⼗⼋・七五トン)の⽜蒡が⽣産され、村の重要物産のひとつとして記されています。そして現在でも⽇ヶ⾕を代表する産物として受け継がれています。

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