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宮津で厚い信頼を寄せられる白藤屋菓子舗の上生菓子のお話

印刷用ページを表示する 記事ID:0016962 更新日:2022年12月9日更新
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明治時代に創業して以来、多くの宮津市民から親しまれている和菓子の名店「白藤屋菓子舗」。季節の移り変わりを巧みに表現した上生菓子は、大切な人への手土産などに重宝されています。今回は、4代目のご主人・白藤芳生(しらふじ よしお)さんに、お店の歴史や上生菓子づくりへのこだわりなどをお伺いしました。


元々は茶室だった!お茶の宗匠が設計した店舗

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宮津駅から歩くこと約2分。駅前通りから脇道に入った通り沿いに白藤屋菓子舗はあります。1902年(明治35)に創業した白藤屋菓子舗は、1950年(昭和25)に魚屋町から鶴賀に移転しました。歴史ある京数寄屋造りの建物を設計したのは、江戸時代後期から文人趣味(※1)の茶花(※2)を継承・指南し、有栖川宮威仁親王(ありすがわのみやたけひとしんのう)から「一茶庵(いっさあん)」の茶名を賜った昇玉 佃一茶(しょうぎょく つくだいっさ)(1882~1967)。先々代の祖母がお茶を習っていた縁で、一茶に設計を依頼したそうです。

​※1 文人趣味…古代中国で生まれた概念で、教養ある人々が詩や書画等を自ら楽しむ「自娯」を重視し、香を焚き、茶を飲み、詩書画を楽しみ、部屋を飾り、文学や学問を語り合うことを指します。日本では江戸時代から明治時代にかけて、書家や絵師、国学者などの文化人・教養人を中心に流行しました。

※2 茶花…茶室の床(とこ)に飾る生け花のこと

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店内には、茶席や待合が設けられ、この建物がもともと茶室として建てられたということがよくわかります。

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​かつては、現在使われている茶席を含めて三方に茶席が設けられていたそうで、店内に残る飛び石はその名残を今に伝えます。

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こちらがその飛び石。一つひとつが大きくて立派です。

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数寄屋造とは、茶室の様式を取り入れた住宅建築様式のことで、その特徴のひとつが船底天井です。天井が上がっていることでより店内が広々と感じられます。とはいえ、こうした数寄屋造の店舗を維持するのも大変で、芳生さんも大工さんから「大事な建物だから丁寧に使って雨漏りだけはしないようにと言われました」と笑って話してくれました。


新浜の花街からも愛された白藤屋菓子舗の上生菓子

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​白藤屋菓子舗が創業したのは、1902年(明治35)頃のこと。元々、宮津町魚屋(現在の宮津市魚屋町)で代々米を扱う商売をしていましたが、菓子舗初代の白藤春蔵(はるぞう)さんが京都市内で京菓子作りの修業を経て和菓子店を開いたそうです。

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鶴賀に移転した当初は和菓子の販売だけでなく、茶室でお茶と和菓子も提供していましたが、新浜にかつてあった花街の旦那衆から和菓子の注文がひっきりなしに来ていたこともあって、販売のみを専門で行うようになりました。
「当時は、旦那衆から20個、30個と大きな注文をいただいては、丁稚さんたちがおかもちに和菓子を入れて早足で新浜まで運んでいたと聞いています。」(芳生さん)

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4代目の芳生さんは、元々、大学卒業後は企業への就職を目指していましたが、人手不足となっていたお店に入り、祖父や父から菓子作りの技を学びました。
「学生時代から家の仕事を手伝っていたこともありましたし、すぐ近くでずっと祖父や父の仕事を見ていましたから、お店を継ぐことに抵抗はなかったですね」

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以来、芳生さんは、祖父や父から技術を受け継ぎ、上生菓子を中心とした和菓子作りに日々勤しんでいます。かつては結婚式や子どもが生まれた時、仏事などでも和菓子が求められていましたが、時代の流れとともにそうした需要は年々減っているとのこと。それでも店舗拡大などは行わず、“手作りの上生菓子をお店に来て買ってもらうこと”を大切にしている芳生さん。
「うちは、創業以来、宮津のまちで商売をさせてもらっています。だからこそ、宮津の人にうちの和菓子を喜んで買ってもらうことが何よりの喜びなんです」
大切な人への手土産はもちろん、お詫びに行く際に“言葉では伝わりきれない謝罪の気持ち”を表すために白藤屋菓子舗の上生菓子を持参するケースも多いそうで、
「それだけうちのことを信頼してくれているのだと思うとうれしくもあり、裏切ってはいけないという気持ちになりますね」


日本の四季を感じさせる美しい上生菓子

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四季の移ろいや花鳥風月を巧みに表現した、白藤屋菓子舗の上生菓子。菓銘は俳句の季語から取ることが多いそうです。
「菓銘を決め手から菓子作りに取り組むこともありますし、完成した和菓子の形や色を見ながら菓銘を当てはめることもあります」
常時5~6種類が揃う上生菓子には、いったいどんなものがあるのでしょうか。今回は、取材で訪れた2022年10月のラインナップをご紹介します。​

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​こちらは、栗きんとんをカステラのようなしっとりとした食感の浮島で包み、羊羹を合わせた「山苞(やまづと)」。山苞とは、山から携えてくるおみやげのことで、秋の味覚である栗を抱えて山から里へと降りてくる人の姿が見えてきます。

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​粒あんを2色のきんとんでくるんだこちらの上生菓子は、グラデーションが美しい紅葉を見事に表現した「秋の山」です。

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​俳句には「菊」が付く季語がたくさんありますが、こちらは道ばたにひっそりと咲く「野菊」。黄身あんと粒あんの上品な甘さに思わず笑みがこぼれます。

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古くから観賞植物として親しまれてきた菊花を見立てた「玉菊」は、小豆のこしあんと羽二重餅が織りなす気品に満ちた味わいです。四季の和菓子は1個200円とお値段もお手頃。地元はもちろん、最近はHPを見てきたという観光客の人も訪れるようになったそうで「建物に驚いて写真を撮られる人が多いですね(笑)」(芳生さん)

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近年は、上生菓子以外のお菓子にも力を注いでいる白藤屋菓子舗。こちらは、2020年(令和2)に放映されたNHK大河ドラマ『麒麟がくる』にちなんで作られた「久世戸 松の下」です。
久世戸とは宮津市文珠の旧称で、宮津城主だった細川幽斎・忠興親子と明智光秀たちが天橋立見物の際に久世戸の「松の下」で茶会を開いたという逸話を参考にした、こしあん入りの焼菓子です。他にも、自家製柚子あん入りの焼菓子「月の橋立」や宮津藩主本庄家の家紋「繋ぎ九つ目」をモチーフに、丹後産大納言小豆ともち米粉を使った「九つ目」も販売しています。

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現在は、芳生さんと従業員2名の3名体制で、菓子作りを行っています。
「お菓子を作りつつ、お客さまと相対してお菓子の説明をするのは楽しいものです。特に宮津の人に買っていただけるとやはりうれしいものですね。後継者は縁のものなので、お菓子作りをしたい人がいたら……。でも、今はあまり考えていないです(笑)」

創業から110年以上、宮津に根付いて上生菓子の魅力と文化を伝え続ける白藤屋菓子舗。今日も厨房で芳生さんが一つひとつ真心を込めて上生菓子作りに精を出しています。

 

​〈データ〉
白藤屋菓子舗
住所:宮津市鶴賀2074
電話:0772-22-2062
営業時間:9:00~17:00
定休日:木・日曜・その他不定休(詳しくはHPを確認)
https://shirafujiya.miyazu.net/<外部リンク>

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