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第124回 戦後復興に向けて

印刷用ページを表示する 記事ID:0014462 更新日:2022年8月19日更新
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燈籠流し

          現在の燈籠流し

戦後復興に向けて

 戦後の昭和二二年八月一六日、宮津の年中行事である燈籠流しが、宮津町、商工会、遊覧協会の共催で一〇年ぶりに再開しました。
 夕方六時、戦没者一五二柱を供養する遺族会の英霊船が岸を離れると、一〇〇〇個の燈籠が宵闇の宮津湾を埋め、仕掛け花火や松坂などの盆踊りが行われました。近場の漁場からは、二〇数艘(そう)の漁船が観客を満載して押しかけるとともに、近隣からの人出は数万人にのぼり、宮津町の旅館は超満員になったと伝えられています。
 燈籠流しの開始時期は不明ですが、お盆行事である「送り火」の一種と考えられます。送り火とは、お盆に帰ってきた祖先の魂を、現世から再びあの世に送り出す伝統的な年中行事で、宮津の燈籠流しは、初盆を迎えた家が精霊船を作り、これを宮津湾に流す点が特徴です。精霊船を送る行事は、丹後から若狭にかけてみられ、大手川左岸の旧城下町を中心に受け継がれています。
 祖先の霊を供養する盆踊りとともに、現在も宮津の夏の風物詩となっています。
 また同じ頃、天橋立観光協会によって、戦中に禁止された「天橋立股のぞき」を復活させようとする動きがみられました。昭和二六年、丹後海陸交通株式会社は、全国に先駆けて成相ケーブル(昭和一九年廃止)の運行を再開し、天橋立観光は再スタートを切りました。
 戦後の宮津や天橋立は、戦前の文化資源、観光資源を生かすことで、戦後復興の足掛かりをつかんでいったのです。

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