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【上宮津祭・日置祭・須津祭】地域に伝わる未来へ繋ぐ祭り

印刷用ページを表示する 記事ID:0013279 更新日:2022年4月6日更新
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宮津には、各地域に代々受け継がれてきた祭りが点在しています。その数はかなりのもので、それぞれに異なった風習や伝統が息づいています。言わば宮津は、個性豊かな祭りの宝庫! そして、どの地域の住民も「うちの祭りが一番だ!」と誇りを持っており、祭りへの熱い情熱に満ちたまちでもあるのです。

数ある祭りの中から今回は毎年4月の中旬から下旬にかけて行われる「上宮津祭」「日置祭」「須津祭」の3つにスポットを当て、その様子をご紹介します!


早朝の山頂に伝統芸能集団が集結!「上宮津祭」

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上宮津祭は、地域の安寧や豊作を祈って行われる、上宮津地区の村社である愛宕神社および各組の産土神社の例祭です。毎年4月第3日曜とその前日に当たる土曜に開催されています。この祭りに参加するのは、有徳神社や富久能神社、生野神社や天満神社、荒木神社などの氏子たち。この一帯を挙げての大きな祭りです。

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祭礼の列は、まだ夜も明けない午前3時半頃に、スタート地点である今福地区を出発。その後、他の地区の氏子がそれぞれの社の幟と提灯をつけた楽台を曳いてどんどんと加わり、列は長さを増しながら進みます。その後、楽台を麓に残し愛宕神社のある山の頂へと向かいます。急な山道を祭具を運びながら移動し、到着する頃には夜明けが訪れます。

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その後、境内で神事を行い、神賑わいとして芸能が披露されます。上宮津祭では、神楽を南太神楽組、太刀振りを竹ノ本太刀組・小香河太刀組・喜多太刀組・今福太刀組、奴(やっこ)を奴組といった具合に、組毎に担う演目が決まっており、集った6組がそれぞれの芸能を披露するのが祭り最大の見せ場です。各組の奉納が終わるたびに、周りからは拍手や歓声が上がります。年に一度の地域の大切な交流の場でもあります。

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ところで、「太刀振り」とは何か、ご存知でしょうか? これは、宮津をはじめ丹後地方に伝わるあちらこちらの祭りにおいて、今もなお行われている伝統芸能の一つ。太鼓や笛などの音に合わせて長い刀を振りながら舞うもので、太刀をくるくると回したり、飛び跳ねたりとアクロバティックな様子は圧巻です。地域によって演奏や振り付け、衣装に違いがあり、個性を感じられるのも注目したいポイントの一つ。

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また、ここ10年ほどは神賑わいとしては披露されていないものの、力自慢の男性6名が鳥毛(とりけ)と呼ばれる祭具を力強く振り、その後ろに鉄砲や槍、弓などの道具持ちが「エーイ、ヤーノ、サーヤトマカショ―」という掛け声とともに進む奴道中もこの祭りの注目ポイント。技が途切れることのないよう、今も練習が続けられているといいます。
山を下りた後には、各地域の神社で順次奉納が行われます。夕暮れ時の生野神社では、提灯の明かりが灯った幻想的な雰囲気の中、3種類の獅子舞が披露されます。
いくつもの神社の祭りが組み合わさって、一つの大きな祭りを形成している上宮津祭。その分、迫力も大きく見どころも多い、パワフルさが魅力です。


丹後有数の穀倉地帯で五穀豊穣を祈る「日置祭」

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宮津市の北部に位置する日置地区。713年の『丹後国風土記』にある浦島伝説にも登場するなど歴史あるこの地区で、毎年4月の第4土曜に行われるのが日置祭。日置地区は丹後地方でも指折りの穀倉地帯で、そこに住む人たちが地域の安寧とともに五穀豊穣を願い、豊作に感謝する祭りとして始まり、今日まで続けられてきました。

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日置祭は地域の氏神である若田神社の例祭ですが、起源が金剛心院というお寺となっている珍しい祭り。鎌倉時代末期に始まったとされ、金剛心院の前身である宝光壽院で尼僧として仏に使えていた千手姫に、後宇多上皇から念持仏・愛染明王像が贈られた際、その感謝の念に加えて福寿安泰などの祈願をするべく、日置の人たちが産土神の祭りとして金剛心院に練り込んだと伝わっています。

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そのため現在でも、祭礼巡行の際に奉納される太刀振りなどは、区長や住職が寺の勅使門越しに眺めるというおもしろい風習が残っています。

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祭礼前日にあたる宵宮には、神楽や太刀振りに関わる人たちがふんどし姿で浜戸の海に入り禊ぎを行ったあと、威勢のいい掛け声と共に若田神社に参拝する裸参りが行われます。

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そして翌日には2基の幟や神楽、太刀振りなどが列となり公民館を出発。笛と太鼓の音色を奏でながら地区内を練り歩き、所々で太刀振り奉納を行いつつ進みます。若田神社で神事や神楽・太刀振りの奉納を行った後は、金剛心院と地域の禅寺である禅海寺でも太刀振りを奉納。

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それぞれの社寺での奉納の際にはまず幟を立てますが、実はこれも見どころの一つ。この幟の高さ、1基は約6m、もう1基は約8mで、かなり巨大なんです。立派な幟がはためく様が、太刀振りの動きにより迫力を添えます。

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また、日置祭では神楽を舞うのは青年、太刀振りをするのは小学生から中学生の男子と青年、そして笛を吹くのは小学校高学年から中学3年生の女の子と大人の男性。幼児までも棒振りに参加し、それら全ての指導には年配の方々も参加と、奉納に老若男女が携わっているのも特筆すべき点。地域の人たち皆の絶え間ない努力により、伝統芸能の奉納が今でも盛大に行われています。


長い行列と重厚な神楽に圧倒される「須津祭」

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須津祭りは宮津市のほぼ中央に位置する須津地区で、毎年4月25日に最も近い土・日曜に開催される春の祭りです。地区の住民に親しまれ、氏神として大切に祀られている須津彦神社の例祭として、長年受け継がれてきました。

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祭りの特徴は、全長200mにもおよぶ行列。列を成すのは白幣や少女神輿、神楽、太刀振りなどで、地区をぐるりと一巡しながら住民の健康や地域の平穏などを祈ります。

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祭りの当日の朝、一行は公民館を出発し、須津彦神社へ。境内で神事と奉納を行ったあと、地域の家々に立ち寄りながら進みます。各戸では神楽を舞う際に使う獅子頭で住民の頭を噛み、邪気払いをするそう。行列はさらに進み、付近の大川神社と愛宕神社にも神楽や太刀振りを奉納したのち、昼頃に須津彦神社へ帰還。そこで再度、最も正式な形で神楽や太刀振りが奉納され、祭りの盛り上がりはピークに達します。その後も夕方まで、家々を回る行列が続きます。

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太刀振りの奉納では、小学生・中高生・社会人に分かれて、境内いっぱいに広がり一斉に太刀を振る、壮観な光景を見ることができますよ。

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そして、もう一つの見どころが神楽。須津祭では、剣の舞・鈴の舞・乱の舞・笹の舞の4種が舞われ、見る者を魅了します。全てに獅子舞が登場し、中には天狗の役が登場するものも。須津祭の神楽では、笛と太鼓は一人ずつ。二人が奏でる音色と舞う人たちの動きが密接に連動しているのが特徴です。演者たちの阿吽の呼吸を感じながら、神楽をじっくりと見てみてくださいね。


困難も多い。それでも受け継いでいきたい、祭りへの思い

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今回ご紹介した3つのお祭り。別々に行われるものではありますが、そこには祭りに参加する人たちに共通する「祭りを絶やすことなく、未来へ繋いでいきたい」という願いがありました。

五穀豊穣や地域の平穏を祈る、神様に感謝するといった目的はもちろんですが、地元の人たちが祭りに見出している意味はそれだけではありません。祭りに欠かせない奉納の練習などの準備を通して、地域に住む人たちの間に生まれる交流。これを大切に守っていきたいと、各地域の人たちが口々に語ってくれました。太刀振りや神楽は多くの場合、楽譜などの書物ではなく人から人へと直接伝承されるもの。そこには世代の壁を超えたコミュニケーションや他者を敬う心、絆や信頼関係が自然と生まれます。そして祭り当日は住民が一堂に会し、同じものを見て感動するという体験を通して、地域の一体感と地元への愛着が増していくのです。

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昔はそんな大切な祭りを何よりも優先する文化が根付いており、祭りの日には、例え平日であっても全員参加が当たり前という地域も少なくありませんでした。しかし時代が移り変わるにつれ職場で休暇を取りにくくなったことなどから、祭りの日が土日に当たるように開催日を変更した地域も少なくありません。その甲斐あって、遠方に引っ越した人も祭りに合わせて里帰りするなど、参加する人が再び増えてきたという例もあります。どの地域も、唯一無二の祭りを後世に残そうと、必死に努力しています。

自分が生まれ育った地域について改めて知り、誇りを感じるきっかけをくれる地域のお祭り。そんな伝統が今なおたくさん息づいているのが、祭りのまち・宮津です。

ぜひ、祭りを通して地元の人たちの熱い思いに触れてみてください。

<データ>
上宮津祭
開催日:4月第3日曜とその前日の土曜
住所:京都府宮津市小田早栗192-2(愛宕神社)

日置祭
開催日:4月第4土曜
住所:京都府宮津市日置2464(若田神社)

須津祭
開催日:4月25日に最も近い土・日曜
住所:京都府宮津市須津吉里1546(須津彦神社)

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