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第116回 滝上公園と金引の滝
花見で賑わう滝上公園
滝上公園と金引の滝
島崎公園の設置と前後して、滝上公園や金引の滝の整備が進められました。
現在の滝上公園や日吉神社の周辺は、江戸時代、宮津藩主の京極高広や永井尚長らが別荘を置き、「漱玉亭」と名付けられるなど、宮津城下屈指の景勝地となっていました。
明治四三年(一九一〇)、宮津町は官林であった約二万坪の土地を取得し、翌年四月に休養娯楽の遊園として滝上公園を設置しました。宮津市街地や天橋立を一望することができ、天橋立の反り身の姿は「弓ヶ観」と呼ばれました。また、つつじの名所としても知られ、近年まで春のシーズンには花見で賑わいました。さらに昭和六三年には、公園の一角に宮津市弓道場が設置されました。
一方、金引の滝は、江戸時代の地誌『丹哥府志』にも登場する名瀑です。明治三〇年頃から公園化を目指す動きがあったようで、『日出新聞』には、城東村長の楠田佐兵衛ら二、三人が発起人となり、滝村公園を設置することを協議中との記事がみられます。金引の瀑布と、古代に丹後国司であった藤原保昌が安置したとされる不動明王の祠堂を広く世に知らしめるため、周辺の開拓と道路の修繕を行う計画でしたが、結局、公園の指定は実現しませんでした。
しかし金引の滝は、大正時代以降、天橋立を中心とした絵葉書に頻繁に登場し、天橋立とともに観光名所となりました。平成二年には「日本の滝一〇〇選」に選定されました。
(宮津市教育委員会)