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第114回 学校の歴史(6) 幼稚園の設置
古写真にみる宮津幼稚園
学校の歴史(6)
幼稚園の設置
宮津幼稚園のはじまりは、明治二〇年(一八八七)に遡り、宮津尋常小学校女子部に保育科が付設されたのが、その前身とされています。
この時の園舎は尽道校に置かれ、「女子部内元女工場ノ階下」にあったとされています。「身体を健全にし能力を開発し善良の習慣を養ひ以て学校教育の基をなすを目的とす」(「宮津尋常小学校附属幼稚園設置規則」)とあり、尋常小学校の就学前教育を主眼としました。保育年限は二年で、科目は「会集」、「談話」、「手業」、「遊戯」の四つ。月謝は一五銭で、尋常小学校の一〇銭より高額でした。
その後は女子教育機関の設置にともない、目まぐるしく変遷します。明治三七年、与謝郡第一高等小学校の廃止により宮津女子尋常高等小学校が設置されると、保育科が独立して幼稚園となりました。翌三八年に宮津女子裁縫講習所が設置されると敷地内に幼稚園が開設され、翌三九年に宮津女子裁縫講習所が与謝郡立宮津高等女学校に改組されると再び保育科となりました。明治四四年、宮津高等女学校の日和山への移転により保育科も日和山に移りますが、大正一四年(一九二五)に宮津尋常高等小学校附属として宮津幼稚園が成立。翌一五年、現在地に宮津町立宮津幼稚園が完成しました。
宮津幼稚園の歴史は、京都府内では、明治一七年に府立女学校に仮設置された女子師範生の実習のための幼稚園、明治一九年に京都市竹野校に設置された幼稚園に次いで古く、宮津における教育熱の高まりが感じ取れます。
(宮津市教育委員会)