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第111回 学校の歴史(3) 中学校の変遷
古写真にみる京都府立第四中学校
学校の歴史(3)
中学校の変遷
戦前の中学校は、現在の中学校から高等学校にほぼ相当します。明治一九年(一八八六)の中学校令によって、修学年数は五年とされ、卒業後は高等学校、大学予科、大学専門部、高等師範学校、専門学校など高等教育への進学の道が開かれました。
宮津においては、明治一八年に京都府立宮津中学校が開校しました。宮津校の校舎、敷地(旧礼譲館跡地)を譲り受け、天橋義塾の関係者も教諭として参加しました。
しかし、明治一九年の中学校令の公布により、高等中学校(全国に五校)と尋常中学校が設置され、尋常中学校は一府県に一校が原則とされました。京都府内では京都府中学校(京都市)に統合され、宮津中学校はわずか一年半で閉校となりました。開校前から、京都府が天橋義塾に中学校への合流を打診していたことから、天橋義塾が自由民権運動の拠点となることを警戒した京都府の意向が感じられます。
その後、明治三二年における中学校令の改正によって、中学校の設置が一府県一校以上とされたことから、明治三六年、宮津に京都府立第四中学校が開校しました。校地は近世城下町の郊外であった滝馬に置かれ、現在の宮津高等学校に受け継がれています。
戦後の教育改革により、昭和二二年(一九四七)には新制の宮津中学校が成立。翌二三年、旧宮津高等女学校の跡地に校地が置かれ、この場所が現在も引き継がれています。
(宮津市教育委員会)