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第110回 学校の歴史(2) 尋常小学校の変遷

印刷用ページを表示する 記事ID:0011948 更新日:2021年6月18日更新
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歴史紀行6月号

大正七年に統合された宮津尋常高等小学校

(中央やや右寄りに、太鼓門がみられる)

学校の歴史(2)

尋常小学校の変遷

 明治時代から戦前期の教育制度では、現在の小学校にほぼ相当するものとして尋常小学校が設置されました。
 宮津においては、明治一九年(一八八六)に宮津校(旧士族を対象)と尽道校(旧町人を対象)を統合して「宮津尋常小学校」が誕生しました。男子校は旧宮津城の本丸跡地にあった旧宮津校を、女子校は西堀川通りにあった旧尽道館を校舎として利用しました。
 明治三七年には、与謝郡第一高等小学校(現在の小学校高学年から中学校にほぼ相当)が廃止されました。尋常小学校に高等小学校が併置され、尋常高等小学校となりました。
 旧尽道校にあった女子校は、翌三八年に宮津女子裁縫講習所(女紅場裁縫講習所)や幼稚園に校舎を譲り、旧与謝郡第一高等小学校の校地(旧礼譲館の跡地、現在の宮津小学校)に移動。さらに大正七年(一九一八)には、男子校と女子校を統合して「宮津尋常高等小学校」とすることが決定されました。女子校の校舎(旧礼譲館の跡地、現在の宮津小学校)を拡張して、旧宮津校(旧宮津城の本丸跡地)にあった男子校と統合することになり、大正一一年に新校舎が完成。この校地が、現在の宮津小学校に受け継がれています。
 この時、中橋の東詰にあった太鼓門が、通用門として校地の東側に移設され(平成二二年に再び現在地に移設)、その姿を古写真にみることができます。
(宮津市教育委員会)

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