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宮津にも“舟屋”があった!?日本の漁村の原風景・溝尻の舟屋

印刷用ページを表示する 記事ID:0011190 更新日:2021年9月15日更新
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舟屋(舟のガレージ)といえば伊根町が有名ですが、宮津市にも舟屋があるのはご存じでしょうか。穏やかな阿蘇海の向うに緑鮮やかな天橋立を眺める溝尻集落の浜辺には約40軒の舟屋が立ち並び、今や少なくなった「日本の漁村の原風景」ともいえる風情が残っています。今回は、この美しい風景をご案内しましょう。

 

砂浜に立ち並ぶ宮津の舟屋群​

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溝尻があるのは京都府立丹後郷土資料館から国道178号線を阿蘇海の方へ向かったところ。直線距離で約500mのとても小さな集落です。集落の中央を走る通り(写真)からは海が見えないので歩いているだけではここに舟屋(舟のガレージ)があるとは気が付きませんが、集落には約40軒の舟屋が立ち、そのうち10~15軒の方が今も漁業をされています。

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溝尻の舟屋を見ようと思ったら、集落の中ほどにある、かつて定期船の桟橋がおすすめです。

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ここに立つと左右に湾にそって舟屋が立ち並ぶ様子を眺めることができます。溝尻の舟屋は天橋立に面した白く美しい砂浜に立っているのも魅力のひとつ。元々、舟屋は海岸に引き上げた舟に雨風をよける簡単な屋根をかけたことから始まり、やがて壁を造って家の形になっていったと考えられていますが、溝尻の舟屋は、ほぼ家の形になった頃のまま。古きよき時代の漁村の風景をよく残しています(文末に桟橋がある場所をポイントしたMapを掲載しています)。

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そして目の前は穏やかな阿蘇海。ここからはキラキラと光る波の向うに真一文字の天橋立も眺めることができます。

 

舟屋の中はどうなっているの?​

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溝尻の舟屋は非公開なのですが、今回は特別に40軒の舟屋のうちの1軒、井上真哉さんのお宅の舟屋を見せていただきました(井上さんの家の舟屋はNHK『ブラタモリ』にも登場していましたね!)。

溝尻の舟屋は、平屋で住居として利用されていないことが多く、そのため舟屋と母屋が隣接していないことがほとんど。やはり井上さんの家の舟屋もそうでした。特別に許可をいただき、舟屋の中に入らせていただきました。天井が低いので頭を下げながら薄暗い舟屋に入ると……

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世界が一転。モノクロの世界から見る阿蘇海の海と空のブルーの美しいこと! まるで針穴写真の世界のよう。額縁の先に広がる穏やかな海を見ていると一瞬、時間が止まってしまったような錯覚に陥ってしまいます。

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あれが、タモリさんも羨ましがっていた、マイ桟橋ですね!

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舟屋の軒に光が反射して揺らめく様がきれい。まるで映画の世界のよう。舟屋の外の潮騒の音を聞いていると、なんだかのんびりとした気分になってきます。

 

穏やかで豊かな海と共にある溝尻での暮らし​

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井上さんにご案内していただき、ほかの舟屋も見せていただきました。中には昭和3~40年頃まで使われていた「トモブト」とよばれる木造の和船がそのまま残っている舟屋も。かつては、この舟などでイワシ漁が盛んに行われたのだそうです。

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特に阿蘇海のイワシは金樽鰯(金樽鰯のページにリンクはります)と呼ばれ、重宝されていました。その他、ハマグリ、ヒイラギ(この辺りではシノハと呼ぶ)、天然ウナギもたくさん獲れたのだそうです。そのため井上さんは中学生の時のお弁当が鰻重だったこともあったそう! なんだか羨ましく思いますが「中学生なので当時はとても恥ずかしかったですよ」と語ってくださいました。

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溝尻には専業漁業の方もいらっしゃいますが、兼業漁業の方が多く、かつては遊覧船や昔、運航していた定期船(天橋立から溝尻→宮津までを結んだ)の船長などをしながら出勤前や休日に漁業をされていた方も多かったのだとか。かつては溝尻だけで10人ほど遊覧船や定期船の船長がいらっしゃったそうですよ。

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というのも阿蘇海は、天橋立で区切られた内海なので波が穏やか。加えてこの辺りは日本海なのに南を向いている珍しいスポットなので、真冬でも海はあまり荒れません。外海まで行かなくても内海の中で十分漁ができるので、朝5時ぐらいに舟屋を出て漁をし、6時半には戻ってこれるのだそう。なるほど。まさに朝飯前ですね。

この溝尻舟屋を含む天橋立の美しい景観は平成26年、「宮津天橋立の文化的景観」として国の重要文化的景観に選定されました。

 

府中の海の玄関口だった溝尻舟屋​

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この美しい溝尻の舟屋群の誕生がいつかは詳しく分かっていないそうですが、江戸時代の絵図に溝尻の舟屋が描かれているので、少なくともその頃には舟屋が並ぶ景色ができあがっていたようです。

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一方、集落としての歴史はとても古く、平安時代の文献に「溝尻村」という記述がでてきます。奈良から平安時代、この辺りに国府(地方行政府)がありました。国府の近くには「国津」「国府津」という港が置かれることが多かったことから、溝尻は府中の海の玄関口として重要な役割を担った可能性があるのだとか。(写真は国分寺跡から眺める阿蘇海)

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さらに府中の遺跡からは中国の陶磁器が数多く出土しているので、もしかしたら溝尻には国内はもとより中国などからの船が沢山着き、日本海側を代表する港として栄えたのかも……なんて考えると、とてもロマンチックですね。

 

舟屋を撮影するなら―おすすめのフォトスポット

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文中に出てくる、かつての桟橋はこちら(★マークのところ)。集落の中央にあるので両側に舟屋群を見ることができます。

ただし溝尻の舟屋は観光地化されておらず、今も集落の皆さんは普通に生活をされておられます。訪れる時は、あくまでも集落をちょっと見せてもらっているという気持ちを忘れずに、ご迷惑にならないよう配慮して訪れてくださいね。

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