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格式高いと名を馳せた宮津の花街 〜新浜の風情と賑わい〜

印刷用ページを表示する 記事ID:0010136 更新日:2021年6月25日更新
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店先に千本格子をしつらえた茶屋や置屋が建ち並んだ通り。日が暮れると店々の軒灯に明かりが灯り、たくさんの人々が行き交う。どこからともなく三味線や太鼓の音色が聞こえてきて、賑わいは夜が更けるまで続く……。
こんな情緒たっぷりの花街が、かつて宮津にあったことをご存知ですか? 今回は城下町・港町として栄えた宮津の繁栄ぶりを物語った新浜(しんはま)の花街の活気に満ちた思い出を、当時をよく知る女性たちに語っていただきました。

 

人々の心を掴んで離さない、花街の厚いもてなし

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江戸時代、城下町として栄えた宮津は次第に海方向に向かって町域を広げ、文化14年(1817)には埋め立てが始められました。そうしてできた土地の一角が新浜と呼ばれ、天保13年(1842) には町中に点在していた置屋をここに集めるようにとの命が下り、花街が誕生。そばには全国の海を商いをしながら廻った北前船が寄港する港があったことから船乗りたちも訪れ、街は大いに発展します。新浜の花街は祇園に次ぐ格式とも言われ、地唄の宮津節では「二度と行くまい丹後の宮津。縞の財布が空となる」とその魅力の強さが歌われました。文久3年(1863)の商売替えの命により花街は一度他地域に移転しますが、明治11年(1878)に再び許可が下り、新浜に賑わいが戻ります。

「新浜の質の高いもてなしが、多くのお客さんの心を掴んでいたのだと聞きます。一度来たら半年も滞在したなんて話もあるくらい」。そう語ってくださったのは、新浜のお茶屋で生まれ育った北村さんと、新浜の芸妓を母に持ち自らも芸妓として活躍した小島さんのお二人。
「お客の顔と名前は一度会ったら忘れず、どんな人にも『ようきなったなぁ』と愛想よくおもてなし。不測の事態が起きても相手を怒らせず、穏やかにその場を収める。新浜にいたのは、そんな接客のプロたちでした」。

 

まさに花めいた街!人々が集った活気溢れる新浜

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お二人の記憶に残る昭和の新浜はどんな街だったのかと尋ねると、「それはそれは華やかで活気に満ちた場所だった」と口をそろえます。
「新浜通とその周辺の路地には、豪華な旅館や料亭、お茶屋がずらり。通りはいつも人でいっぱいでした。その南にある本町通は買い物客で溢れ、お正月なんてまともに歩けないほど。当時の宮津は丹後中から、さらにはもっと遠方からも人が集う街でした。路地の奥では血の気の多い男性客たちが喧嘩してたりなんかもしてね。とにかく活気がありましたよ」。

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当時新浜には芸妓などの取り次ぎや玉代(ぎょくだい)の計算といった事務管理を行った検番があり、その2階には大きな舞台が据えられて、芸妓たちの稽古場である歌舞練場としても使われていました。ほかにも、4月には太鼓や三味線を演奏する女性たちを乗せた舞台を曳いて街を練り歩く観光祭が行われたり、秋には芸妓たちによる運動会が開催されたりと、今の街の様子からは想像がつかないような光景が広がっていたそうです。

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幼い頃から芸妓を間近で見てきた北村さんは、「芸妓さんたちが着ていた丹後ちりめんの華やかな着物や、艶やかな歌と踊りの光景が忘れられません」と当時を振り返ります。また、小島さんは「子どもの頃、夕方頃に通りを歩いていると客引きの女性からギロリと睨まれたりしましたよ。この商売は元を担ぎがち。客引きを始めてその日最初に目の前を通ったのが女性だと、縁起が悪かったようです」と、花街特有のエピソードを懐かしんで語ってくれました。

 

豪快な遊興と人間模様

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「お客さんはもっぱら、宮津の外からやって来る漁師さんや丹後ちりめんの問屋さんたち。例えば隣の伊根でブリが大漁だった日には漁師たちが遊びに来て、大漁旗を掲げた漁船が港にずらりと停泊していましたよ。そして翌朝にはまた旗を翻して帰っていくんです」と北村さん。そこには非現実を求めてやって来るお客たちの、束の間の夢の世界が広がっていました。

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「新浜通の西端あたりに、見返り柳と呼ばれる柳が立っていました」と小島さん。「花街の女性はその柳のあたりでお客を見送りました。帰路に着く男性が名残惜しい気持ちで女性を振り返ったのか、はたまた女性が遠ざかる男性の背中を何度も振り返ったのか。いずれにせよ、割り切った世界である花街でも、そんなドラマチックで切ない別れが交わされることがあったのでしょうね」と当時に思いを馳せます。

 

時代の移ろい、そして現在へ

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そんな新浜も時代とともに、一帯にはバーやビアホール、娯楽用の的場などが建ち並び、花街とはまた違った歓楽街を作り上げます。「ビアホールでは、丹後シスターズという名前で芸妓たちがバンド演奏をしたりしていました。街の様相が移りゆく中で、新しいことしようという挑戦だったのでしょうね」とお二人。

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時代は流れ、居酒屋やスナックが建ち並ぶ現在の新浜。やはり夜になると活気付く歓楽の街として、当時の残り香を感じさせています。

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