天あまの橋はし立だてと文化 国のかたちがかたまってきた奈な良ら時代には、阿あ蘇そ海かいに面した天橋立を見わたす府ふ中ちゅうに、丹たん後ごの国くにの政せい治じや文化の中心であった国こく府ふがおかれ、国こく分ぶん寺じなども建こん立りゅうされました。また、平へい安あん時代に入ると有名な歌人であった小こ式しき部ぶの内ない侍しは、「大おお江え山やま いくのの道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立」と歌い、小お倉ぐら百ひゃく人にん一いっ首しゅにも選えらばれています。 室むろ町まち時代になると、足あし利かが幕ばく府ふの三代将しょう軍ぐん義よし満みつは、「日本三文もん殊じゅ」に数えられる智ち恩おん寺じ(宮みや津づ市文珠)や天橋立に 6 度もおとずれています。また、この時代に水すい墨ぼく画がをえがいた雪せっ舟しゅうも「天橋立図」(国こく宝ほう)をえがいて天橋立を広くしょうかいしました。 江え戸ど時代に入ると、宮津は城じょう下か町まち、港町として急速にはってんし、浮うき世よ絵えなどにもえがかれ、多くの人々が智恩寺や成なり相あい寺じなど寺や神社などのお参まいりにおとずれました。 明めい治じから昭しょう和わにかけて絵はがきや写真でしょうかいされるようになり、昭和に入ると、歌人の与よ謝さ野の寛ひろしや妻つまの与謝野晶あき子こがおとずれ、歌を残のこしています。78水墨画 中国から伝つたわった、墨すみ一色を使って風ふう景けいなどをえがいた絵。雪舟「天橋立図」 〔京都国立博物館蔵〕2020年、京きょう都と府ふ立りつ丹たん後ご郷きょう土ど資し料りょう館かんに約やく40年ぶりにてんじされたときの様子です。調べる 「e国宝」を見て天橋立図をさがしてみましょう。与謝野寛と妻の与謝野晶子の歌ひ調べる 宮津市には歌ひ、文学ひもたくさんあります。どんな人たちがおとずれたのか調べてみましょう。〔国立文化財機構「e国宝」〕
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