| 波見にもあったアーチ形石橋 「中波見橋」ってどこにあるの? らんかんも名板もない橋は、その意識もなく通り過ごしてしまう。「この下に石橋があるよ」と言われて草を分け、川を渡り、ようやく完全な形の石造りアーチ形の橋を目の辺りにした。明治40年完成、昭和34年拡幅。長さ6メートル。95年の歳月を経た今もビクともしない技術の高さに敬服するばかり。(上家透)
村おこしの拠点「農産加工センター」 田原の村を守り育てる村おこしの拠点、田原農産加工施設は、昔からこの地にあるそば、へんごさ餅、山ぶきを主とした山菜等を加工し付加価値を高めるべく、休校となった小学校の分校を改装していただいたもの。農産加工センターとして製造販売の許可も取り、二一人の仲間が頑張っている。(田原農産加工センター・中村)
鎌倉の作、龍燈寺「薬師座像」 静かでやや淋しい無住職の寺に踏み込むと、鎌倉時代(13世紀)ヒノキ材の一木割矧造の薬師如来座像を拝見する。明治31年の宮津万町の仏師の修理記では、以前は地元薬師堂に安置されていたらしく、伝来不明の由。一説ではその昔竹野郡野間村にあったが、便利な地を望みこの地に移し田原・野間合同の祭りごともあったとか。右手を挙げ左手は膝上で薬壷を執る像。やや古びて金箔がはげている。市指定文化財であり、修復し25戸地区民の大切な寺として守り続けたい。(沖上清)
府100選指定のため池も 2つのため池は地区の大事な農地約20ヘクタールの用水池である。その1つ、岩尾神社と三良荒神の碑のそばにある約10アールの池は府の100選に指定され、黄色やピンクのハスが水面を飾る。鳥居と調和して6月中旬の開花頃はきれいな池となる。2つ目のため池は地区北側の山頂下にあり、10ヘクタール以上の農地の用水池。秋の紅葉を水面に映し、その風景と位置にはひとしおの美と大切さに痛感させられた。(沖上清)
山里の暮らし伝える「三良荒神の碑」 ため池のほとりに「三良荒神」と刻まれた石碑が建つ。昔、父母と妻を病で亡くした中村三良ヱ門という若者がお遍路に旅立ち、戻らなかった。村人は石碑を建て、若者が残した田畑を耕した。穫れた米の一部で毎年お祭りをして村中で会食する習慣が今に続いているという。田原分校でこの話を紙芝居にし、廃校後は養老小で保存している。(永久徹)
杜と水のやすらぎの社「岩尾神社」 創祀は詳らかでないが、一説では伊根町筒川の寺領より移住した中村一族の創祀といわれている。田原地区の産土神で、その昔は男神三座が祭られていたが、明治の権現号廃止と共に祭神も女神三柱に変更され、地名をとって岩尾神社と改称されたという。富国強兵一途の明治時代を考えれば、大変ユニークな社というべき。池の水面に映える鳥居、銀杏の散り敷く石段、飲用にも供したという湧水のある境内。今も30戸ばかりの氏子で見事に維持されている。市民として一度は訪れてみる価値ある、杜と水に囲まれた安らぎの社である。(上前衛)
「大黒様」を祭る奥波見の人々 奥波見の集落に入ってすぐの所にある公民館の日と一隅に大黒様はおられる。観音扉を開けると供花と共に福の神・大黒様が現れる。素朴な木彫りである。かつて子供たちが、12月最初の子(ね)の日にここで大人と共に楽しんだ。このほかに、これとは別の小振りの大黒様が小箱に収まり13戸の家を順番に回って祭られている。(山下よし子)
「エコ教室」地球デザインスクール 平成9年、京都府が丹後リゾート公園整備計画を策定するに際し、その整備手法として、ソフト先行市民参加で自然と共生する暮らしや公園のあり方を実験し模索する活動体として生まれました。以来5年にわたり、市民の提案を受けつつエコロジカルな教室活動や手づくりでさまざまな施設や装置を作る実験を、波見の丹後リゾート公園予定地とその周辺で実施しています。(市商工観光課・中嶋)
“村人が守る?式部の墓” 山中地区には平安の歌人、和泉式部の墓と伝えられる場所がある。古き昔より和泉式部の屋敷跡として村人に親しまれている。戦後少し落ちついたころより、盂蘭盆には、お地蔵さんは男の子、和泉式部さんは女の子がお祭りするようになる。お墓の周りに笹を立てそれに輪飾りや提灯で飾り付け、子供たちは浴衣に着替え、夜に念仏を唱えたり、盆踊りをしたり。帰りにはお供物のお菓子をいただく。昔の方が少しにぎやかだったようです。近ごろは男女一緒で飾り付けをし、盂蘭盆の夕方ごろには村の人皆、おだんごを供えお参りする。(山中・稲岡)
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