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最終更新日:2014年3月18日(火曜日) 13時48分  ID:2-11-76-1993     印刷用ページ

みやづ歴史紀行(第24回)情報発信元:社会教育課社会教育係

『溝尻と舟屋の風景』

 阿蘇海に面する溝尻には、約四〇軒の舟屋が軒を連ね、漁業集落の面影を残しています。

 宮津市域では、小田宿野、文珠(どん淵)、江尻、長江、大島に舟屋が分布します。近年、舟屋の多くが姿を消していく中で、溝尻の景観は伊根浦(伊根町・重要伝統的建造物群)と双璧をなす存在として注目されます。伊根浦が居室化した二階建ての舟屋を主体とするのに対し、溝尻では舟や漁具を収納する仮設的な形式が混在し、舟屋建築の多様性をよく反映しています。

 かつて溝尻では、沖網によるイワシ漁が盛んに行われ、特に、阿蘇海の真イワシは「金樽【きんたる】(金太郎)鰮【いわし】」と呼ばれました。天橋立を訪れた俳諧師【はいかいし】・蝶夢【ちょうむ】の『橋立秋の記』には、「(前略)是なん金太郎鰯とて、此内の海の名物なり」として「名月や飛び上がる魚も金太郎」という俳句がみられ、江戸時代には名物になっていたようです。

 溝尻の成立は、籠【この】神社から出土した文治四年(一一八八)銘をもつ経筒(国重要文化財)に「与謝郡拝師郷【はやしごう】溝尻村」とあり、少なくとも平安時代まで遡ります。また、龍椿【りゅうちん】筆『天橋立図』には、籠神社や真名井社【まないしゃ】へ「おかげ参り」に向かう船が、溝尻を目指す光景が描かれ、阿蘇海の港に当たる性格も想定されます。

 古代国府の近くには、「国津【くにつ】」「国府津【こうづ】」という港が置かれることが多く、溝尻は府中の海の玄関として、重要な役割を担った可能性があります。


(宮津市教育委員会)


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