大頂寺本荘家霊屋
 大頂寺は慶長11年(1606)京極高知によって「犬の堂」山上に開創され、のち京極高広のとき現在地に移されたと伝える。宝暦9年(1759)に浜松から移り宮津城主となった本庄氏の香華寺とされた。  霊屋は『宮津御領分寺社集覧』(元治2年=1865、成就院明州編)によると、京極高広は徳川秀忠、家光の宝塔、すなわち宝篋印塔(本堂後方にある2基がこれである)と霊屋を建立した。その後も城主はこの霊屋に徳川将軍家の位牌を奉納するのが慣例とされ、青山氏の代(享保2年〜宝暦8年)まで続いた。本堂内に京極氏の霊屋といわれる一画がある。本堂の左後方に接続している霊屋は、宝暦9年に入部した本庄氏が遠祖桂昌院(徳川家光側室、五代将軍綱吉母)の念持仏や歴代位牌を安置したのに始まるという。  内部は内陣と外陣が双折桟唐戸によって区画される。内陣後方に四天柱を立てて位牌壇をつくっている天井は外陣から奥に向かって順に竿縁天井、格天井、折上格天井と、より格式的な表現を強めている。欄間彫刻以外は天井、軸部、壁面、天井に至るまで、黒漆塗で仕上げられており、飾金具には本庄家の家紋「九目結」が打ち出されている。
市指定文化財 数 量一棟
建造物 年代等江戸
所有者大頂寺
宮津地区 所在地字金屋谷