![]() 写真提供:智恩寺 |
木造文殊菩薩脇士善財童子優てん王像 切戸文殊として古代より文殊信仰の中心であった智恩寺の本尊像で、騎獅の文殊を中心に優てん王と善財童子を従えた三尊形式で表される。 智恩寺の文殊菩薩は、通肩に衲衣を着け、如意を持って獅子上の蓮華座に左足を外して安坐し、優てん王は道服を着け剣を佩き、手には獅子の首に付けた鎖を執って立ち、善財童子は結んだ髪を長く垂らし袍を付け、手には経箱をささげて立っている。 像はいずれも寄木造とみられるが、中尊が耳後で前後二材を矧いでいることが視認されるほかは、表面の彩色のため、材、構造ともに明らかでない。 文殊菩薩の高く結い上げた宝髻、張りのある柔軟な肉身の表現や、理知的な相好、衣に施された牡丹唐草、雷文繋、鳳凰丸文、蓮華唐草などの細かい盛り上げ彩色の文様などには、宋風の影響を受けた鎌倉後期の特色が顕著である。また方形の座屏形に宝珠形の縁を巡らせた円形の頭光を付けた特殊な光背も宋風の影響と考えられる。 こうした形式、表現にみられる宋風の影響のほか、図像的にもそれ以前の密教的な文殊菩薩と異なるところが多い。これは、新しく中国から移入された文殊図像に基づいたものと考えられる。智恩寺の創建は大同3年(808)と伝えるが、嘉暦年中(1326〜29)に、入宋僧である建仁寺の嵩山居中(丹後安国寺開山)が来住して禅刹として再興されており、この文殊像の制作には、文殊信仰の一翼を担っていた禅宗の文殊信仰が反映している可能性がある。 | |||||||||||||||
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