![]() 写真提供:智恩寺 |
鉄湯船(智恩寺) 正応3年(1290) 現在手水鉢として使用されているが、本来湯船として制作されたものである。湯船は寺院の大湯屋において寺僧の施浴に用いられたものである。 智恩寺に所蔵される湯船は鋳鉄製、口縁部に鍔をつけ、底部をわずかに細くした盥形で、底部中央に流口の穴をうがっている。 内側面に鋳出銘があり、 興法寺 / 湯船鋳畢 / 右以大願主并 十方檀那之合 / 力所鋳舩如件 正応三偬庚寅七月廿日 / 大願主□□□□ 大工山河□□ /毎月八日阿(弥)□心経 大願主□□□ とある。これによって、弥栄町興法寺の旧蔵であったことが知られる。ここにみられる大工山河貞清は、一族とみられる大工山河貞継が元亨4年(1324)に播磨書写山円教寺の梵鐘を鋳造した際、「河内国」と称していたことが記録されていることから、河内鋳物師と考えられており、このほかに正応5年(1292)に慈光寺の鐘を鋳たことが銘文から知られ、また『醍醐寺新要録』には、永仁4年(1296)に醍醐寺の梵鐘を鋳たことが記されている。 鉄湯船は、ほかに建久8年(1197)銘の東大寺大湯屋のものが知られるだけで、これらは中世鋳物資料として、極めて貴重な遺品である。 | |||||||||||||||
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