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大頂寺本堂 慶長11年(1606)京極高知によって「犬の堂」山上に開創され、のち京極高広のとき現在地に移されたと伝える。宝暦9年(1759)に浜松から移り宮津城主となった本庄氏の香華寺とされた。 本堂は入母屋造でほぼ東面する。両側面に建具付の縁が取り付いているが、柱には風蝕が認められるので、本来は前面から両側面にかけての三方に吹き放しの縁がまわっていたとみられる。正面中央に双折桟唐戸を建てる。唐戸の格間には、菊のほか、竹・虎、牡丹・唐獅子などの彫刻が施されている。枠框には「丹後國宮津大頂寺十二代法譽上人延宝八庚申歳七月十五日」(左)、「為澄妙相信女皓月意照信女菩提也奉奇進施主三井宗旦内方」(右)と刻字されていて、施主と時期〔延宝8年(1680)〕がわかる。 内部は前列二間半通りを横に長い外陣とする。外陣と内陣および脇陣との境は無目で区画されているが、痕跡などから旧状は建具と欄間で区画されていたと推測される。内陣は円柱と蓮の彫刻欄間で区画され、内陣の軸部は真塗り、天井は折上格天井として威儀を正している。後方に寄せて四天柱が立ち、来迎壁をつくって須弥壇が設けられている。 文政10年(1827)に修理が行われたことを示す棟札が残されている。このとき、もと柿葺の屋根が現状のように葺き改められたという。内陣の厨子は文政11年に製作されたことが墨書によって知られるが、内部の構成もこのとき改変を受けたのではなかろうか。 | |||||||||||||||
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