![]() 写真提供:智恩寺 |
金鼓 高麗至治 2年(1332) 金鼓は日本の鰐口に相当するものであるが、形制の上ではかなり相違点がみられる。まず鈕を上と左右の三か所に設けること、裂口に鰐口のような唇がなく、鏨で横木瓜型に切り取っただけのものであること、甲面の全体に文様を表すことなどが大きな相違である。ところでこの金鼓のように両面を有するものは朝鮮金鼓としては異例で、現在3口が知られるに過ぎず、他は日本の鉦鼓に似た形制を示す片面鼓である。 この金鼓は両面とも子持紐で三区に分かち、内区と中区が鰐口の撞座にあたる蓮華を構成する。内区は子房にあたり、十七顆の蓮子を陽鋳し、中区は間弁のある単弁十二葉(反対面は十一葉)蓮弁を表す。そして外区は唐草文で埋めている。これらの文様はいずれも細い陽鋳線で表され、日本的な感覚とは異なるものがある。 この金鼓は側面に 至治二年壬戌十月十六日海洲首陽山薬師寺禁口造成棟梁道人守鋺同願道人孝宣大匠道人性印同願散貢同正金世木 伏願 皇帝万万歳 の刻銘があり、至治2年に海洲(現、韓国黄海道海洲)の首陽山薬師寺の什物として鋳造されたことが知られる。これが今智恩寺にある事情は不明だが、旧記には竜宮より上がるといい、海を隔てて朝鮮半島と向かい合う丹後の地域性を示す資料として重要である。 | |||||||||||||||
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